東洋医学では婦人科疾患のことを「血の道症」といいます。
「血」とは「ち」のことですが、「けつ」とも言います。
血は、現代では「血液」や「血管」のことですが、東洋医学では“人体を支えるエネルギー(のようなもの)”を指します。
ただ古い東洋医学ではまだ血管の存在を知り得なかったので、全身をめぐるものはあくまでも「経脈(けいみゃく)」で、そこに気血が関わると考えられていました。
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その経脈ですが、考え方は中国のかなり古い時代に端を発します。
紀元前~後1世紀頃の前漢時代の歴史書「史記(しき)」や思想書「淮南子(えなんじ)」には、
『春秋戦国時代の名医「扁鵲(へんじゃく)」は、脈搏をおさえ、血行をとり、病気のことを知りえた』
『脈法の大家「淳于意(じゅんうい)」は、若いころから医術を好み・・・、陽慶から、黄帝と扁鵲の脈書を伝えられた』
と書かれています。
ちなみにこれらの人物は、伝説で実在しなかったとも、実在したとも、いわれています。
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実際の経脈思想の源泉は、紀元前5世紀 春秋戦国時代、日本でいうと弥生時代の頃ですが、
諸子百家の「老子(ろうし)」「荘子(そうし)」の説く『余りがあれば損ない、不足なら補う』という「有余と不足」の考え方が、古代医学思想に影響したことに関連します。
つまり、「邪(じゃ)が体の外から体内に侵入する通り道として経脈を想定し、呪術やお灸でそれを”補瀉(ほしゃ)” つまり補いや損なわせして調整した」ということのようです。
紀元前2世紀頃の『馬王堆三号漢墓(まおうたいさんごうかんぼ)、中国湖南省長沙市)』から出土した絹布に書かれた文字(帛書はくしょ)には、
〇陰陽十一脈灸経
〇陰陽十一脈灸経 乙本
〇陰陽脈死候
〇脈法
の記載があり、脈法原型の形跡がみられます。
さらに紀元前1世紀頃の『張家山漢墓(ちょうかさんかんぼ)、中国湖北省荊州市江陵県』から出土した竹札(竹簡ちくかん)には、
◎陰陽十一脈灸経 丙本
◎陰陽脈死候 乙本
◎脈法 乙本
と、脈法が受け継がれた跡も残されています。
そして紀元後(2000年前)前漢の医書「黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)」に結実、
やがて体系化され「難経(なんぎょう)」や晋代の「脈経(みゃくきょう)」などの医脈書へと発展していきました。
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ところで、「血」が滞ることを「お血(おけつ)」といいます。
お血が生じると、経脈を流れる「気」の巡回が邪魔されるため、体に不調が生じます。
そうなるといよいよ女性の悩みが生じます。
そして、息切れ、皮膚の黒ずみ、内臓の病気、脱毛症など深刻化すると、病気を招く素因に変わりはじめるのです。
(参考文献)
・道教とはなにか 坂出祥伸 ちくま学芸文庫
・淮南子思想 老荘的世界 金谷治 講談社学術文庫
・老子 金谷治 講談社学術文庫
・荘子 玄侑宗久 NHK出版
・儒教・仏教・道教 東アジアの思想空間 菊池章太
講談社・選書・メチエ
・道教の本 不老不死をめざす仙道呪術の世界 学研
・中国医学の起源 山田慶兒 岩波書店
・中国医学はいかにつくられたのか 山田慶兒 岩波書店
・中国医学の思想的風土 山田慶兒 潮出出版社
・地下からの贈り物 中国出土資料学会編 東方書店
・馬王堆帛書精選(全三巻) 毎日新聞社・(財)毎日書道会
・展大 武威漢代医簡 羚羊社
・張家山漢墓竹簡 新華書店
・江陵張家山の漢簡『脉書』と『引書』猪飼祥夫
医道の日本 第492号(1985年)
・江陵張家山漢簡『脉書』譯註(1) 猪飼祥夫
医道の日本 第549号(1990年)